実際に動くということ 〜アウトプットのそのさらに向こう〜
前回のブログで、世の中の「グッドデザイン」についての英語プレゼンを行った記事を書いた。
たくさんのよい実例が飛び出し、生徒の底力を感じた。
と同時に、その生徒たちに調べ物をさせたのはいいが、その調べ物から実際に何か行動に繋がるかどうか、ということを考えた。
話は飛ぶが、自分は東北の生まれで、3.11の時は当然うろたえた。実際、実家の家族や近しい人に命を落としてしまった人などはいなかった。
でも、自分の中では何かが大きく動いて、ものすごく体調を壊して、約一月寝込むという事態になった。
その時に、自分の中では思索も進んだし、その中で何か結論じみたものもあったようには思う。でも、実際にボランティアに出かけていって、人のために動いたりはできなかった。体調も悪かったし、その後仕事もキャッチアップするのが大変だった。できたのは復興募金くらいだ。病気になるなんてことは、他人のためには何の役にも立たない。それは一緒に悲しんだという勝手な感情でしかない。
結果として、何もやれかなったことを今でも後悔している。
頭で考えることは大事だし、それなしでは行動も深まらない。でも、そのあとの行動がないと、その思索そのものの意味はほとんどないことになるのだと思う。
当時の後悔を思い出した一つの出来事は、東京事変が3.11後にある歌をyou tubeにあげたエピソードを知ったときだった。
椎名林檎がインタビューで
「あの状況で、書けない自分が無理に何かをゴリ押しして我を通すのは違うだろうと、そう率直に思いました。・・・『やっぱり私たちは今夜明けを夢見ているのではないか』と感じて、ふと『夜明けのうた』のことを思い出したんです。『ああ、今みんなの歌声で私が歌ってほしいと思う歌は、もうすでにあったんじゃないか。じゃあ、この曲をみんな知ってもらおうよ』と・・・」
と言っていたのを読んだ時。
そこで歌が書けなくても、古い歌を歌うことならできる、と。換言すれば、自分のできることをとにかくやっておく、ということなのだと思う。それを思うと震災後、自分にも何かはできたんだろうな、と思う。
生徒にも、何かを読んだら、聞いたら、何かをやってみる。それが大事だと伝える必要があるのだと思う。
アフリカの人たちを助けることができる石鹸がある、とプレゼンをしたら、その石鹸を買って触って、洗ってみる。くだらないことだけど、体験が伴うことが大事なのだと思う。