『テストが導く英語教育改革』根岸雅史
この本の中で著者は繰り返し言う。とにかく「総合問題」をやめよう!、と。
「総合問題」とは長文があって、その中に色々な問題が盛り込まれている問題。下線が引いてあってその部分を訳したり、カッコが空いていて語句の並べ替えをしたり、単語に下線があってその発音を答えたり。
そういう問題で何が良くないと言えば、その問題が生徒のどんな力を確認しているのかがわかりにくいし、下線が引いてあったり、穴が空きまくっている英文を読むということが、実生活であれば英語を読むという状況下であり得ないことである。まして、その問題が授業で一度扱った問題であれば尚更だ。
このような指摘で考えてしまうのは、テストで問う問題は授業内で行った力を試すものでなければならなく、それであれば授業をする前にその付けたい力をもちろん想定しておかなければならない。
この著者が危惧しているのは、授業者は本当に授業に臨む前に「付けたい力」を想定しているのかということだと感じた。
観点別評価というさらに深いところへ行く前に、その「想定」を確認しないと!!、という本の趣旨にも読めた。
これは自戒を込めていうが、生徒にどういう英語の力をつけたいか、と教員が考える時、授業者は自分なりの「英語ができる人」を想像するわけだが、その人とは「自分の作るテストでいい点が取れる生徒」であることが多いのではないか。そして、そのテストがどういうコンセプトで作られているかというと、数多ある問題集や入試問題、自分が受けてきたテストの寄せ集めだったりすることはないか。
生徒にどんな力をつけたいか、この問題から逃げていては教員は務まらない。いいテスト作りは自分の「英語教育」を改革するのに最も適したツールかもしれない。