『変動する大学入試』伊藤実歩子

 

変動する大学入試—資格か選抜かヨーロッパと日本

変動する大学入試—資格か選抜かヨーロッパと日本

 

 

昨年度末の共通テストで、記述試験が見送られた。その議論ではこの本にも書かれているようにいわゆる公平性が話題の中心になった。採点官の質の問題、採点者間評価の差の問題。それから、時間に大きく関わる問題だ。短時間でかなりの量の採点をこなすのは大変ということだ。
 
この本では欧米の大学入試制度が詳細に述べられている。欧米は基本的に高校の最後に受ける試験はバカロレアも含めて日本が行うような「選抜」試験ではなく、「資格」試験であるということだ。その資格さえあれば大学を選んで入ることができる。その欧米の資格試験では面接もあり、論文もあり、公平性の担保は難しいという観点でいくと、なかなかに厳しいテストになる。それでもテストはそういうものだということで、問題を抱えながらも長い歴史の中で行われている。
 
日本は公平性の問題で採点が難しそうな記述問題を出していないかというと、そうでもない。大学の個別試験では、私立も含めかなりの大学で記述の問題は出題されている。その問題は非常に配点も高いが社会的な問題にならない。つまり誰がどのように、公平性を意識して採点しているのかという問題はあまり取り沙汰されない。英語の試験で言えば、エッセイを課す大学は多くあるが、模範解答もないし、採点基準も明らかでない大学が多い。そこに公平性はあるのだろうか。共通試験批判では「人生が決まるテストなのに」なんてこともあったが、だったらかなり前から大学入試における記述試験の採点はブラックボックスである。
 
そこから何がわかるかというと、共通試験で問題となったのは、二次試験出願までの自己採点ができないということに尽きる。記述はどのように採点されるか分からないので、予備校が行う(これも問題笑)リサーチの意味がかなりなくなるにだ。もしも、現在のように自己採点できるということになれば、それほど大きい問題にならずに済んだ気がする。簡単に言えば、共通テストにおける記述試験に向けられた批判は本質的ではないのだ。要は自己採点できるかどうかということに尽きる。
 
記述の試験は個別試験でしっかりと行われている。共通テストで行う必要はない。
 
むしろ、考えるべきはこの本で取り上げられているように、学校での評価をどのように入試に取り入れるか、一発勝負入試の是非、世帯収入と学歴の関係だろう。欧米の入試制度はもちろん問題も抱えているが、この辺りについては日本が学ぶ事は多い。