賢い子はスマホで何をしているのか 石戸奈々子

 

 

個人個人が持つ端末が教育に与える影響は甚大である。生徒を見ていて(いや身近にいる人を見ていて)、まず感じるのはトラブルシューティングの力がないと端末は使いこなせない。トライアンドエラーの精神を持てるか、感覚的に端末をなだめながら使えるか。これも問題解決能力。端末のご機嫌が取れないとだめ。
 
上記のことはまあ、いいとして、大事なのはこの本で書いてあるように、これからの時代、
 
暗記の価値が落ちる時代
 
であること。授業を組み立てるのにもこの視点は大事。語学で暗記しない、というのは矛盾ですらあるが、もし記憶という要素を削ぎ落とすなら何が残るか? 何も残らないのではないか? 表現力、文章力、論理を磨くと言う授業。それは残るかもしれない。でも、もはやそれは英語の授業で行う必要はない。
 
自分が言うのもなんだが、全員に受けさせる英語の授業というものは存続の危機であろう。
 
ただ一つ思うのは今の体育や技術や美術のような科目のように英語を扱うのはどうだろう。もちろん入試科目でも全員必須とはしない。音楽などと同じだ。
 
AI技術が発展し、翻訳がリアルタイムで可能になれば語彙も文法もない。でもだからといって、言葉を知ることには一定の価値が必ずやある。だとすれば、入試で扱うべきものではなく、学校という場が提供する経験に一つでいいのではないか。
 
仮にそうなれば、授業では何を行うべきか。読むだけ、喋るだけ、なんてことは経験にならない。言語に関わるあらゆることを扱うことになる。そしてもっと言えば、英語だけを学習するなんて変だ。ドイツ語でもタガログ語でもなんでもいい。選べたらどんなに楽しいか。
 
なんてことを考えさせてくれた本でした。