インプットとアウトプット

高校での英語の授業は基本的には英語で行うこととなった。

「生徒のインプットを増やすためにはいい方策である」

とは言われるものの、それは本当か? とも(もちろん英語での授業は、教師が英語学習者のロールモデルになれるなどのいい効果もあろう)。

インプットは外国語習得には必須であることは研究においても明らかであろうが、そのインプットがそういう質のものではだめなのではないかという疑問である。

教員の授業内での話など基本的にはForeigner Talkの域は出ない。
それは良質なインプットと言えるのか。

教員の英語力の向上には役立つことは間違いない(無論、教師も自分の英語学習の中で大量で良質なインプットを取り入れていることが前提でのアウトプットであれば、だが)。どうもこの辺が混乱を招くところである。
英語の教員なのだから、英語で授業できなくてどうする!という議論と外国語学習を効率的に進めるべき!という議論が交錯してはいないか。

ともかく、生徒の学習効果を期待するとすると、日本語で素早く授業を進め、良質なインプットを耳から、目から取り入れさせたほうが得策ではないかな、と思っているのです。