3学期の授業に向けて

そろそろ3学期が始まる。

2学期は様々な授業形態を試してみて、うまくいったものもあるし、そうでないものもあった。
2学期が終わり、ホッとして冬休みは考えたいことだけを考えて、3学期をなんとなく始める。これではいかん!
ということで、2学期の振り返りと3学期の抱負を考えておきたい。

・学年経営を含め、教員としての心構えについて
金枝先生がどこかで、教員としての仕事はもっとプロジェクト的であってもいいのでは?と書いていた。
つまり、こういうことではないか。

自分の教育活動を行い、失敗成功を見極める。成功すればさらなる高みへ行けるし、失敗してもそれは教員としての人格が否定されたわけではない。教員の仕事は子供を教育するという人格的なぶつかり合いでとらえがちであるが、そのように深く考えすぎず、その失敗を分析し、次は違うアプローチで試してみれば良い。また、その際、チームワークも大事。一人で抱えるのではなく、力を出し合って皆で取り組むタスクとしてとらえても良いのでは。

こう考えると、人格と人格がぶつかり合う、などという難しいスイッチではなくトライアンドエラーで明るくやって行けるのではないか。(もちろん、教育者であるという自覚は必要かもしれない。でもそれは、教師が傷つきながら満身創痍では成り立たない人物像である。少しでも生徒に何かを伝えられるメンタリティーを作る努力をするためには、金枝的思考は大切である。)

・コミュ英の授業システムについて
週4回の授業を行う際、同じ教材で引っ張るより、メリハリをつけるため週2回を入試演習(後述)、1回を洋物のリーディング教材、1回をリスニング、速読演習にあてた。リスニング、速読はバリエーションを増やす役割を果たしたとして、入試演習と洋物の教材は結局メリハリがつかなかった。両者とも、問題を解いて、答えを出す、という形態になってしまうからだと考える。入試演習は練習の機能があり、洋物の方ではもっと英語を読むという方針のもとに授業をオーガナイズするべきであった。
入試演習はイントロ、演習、ポストリーディングという形態をとらずにもっと「入試的」な扱い方をすれば良い。
洋物のはpre,while,postをもっと意識して、様々な要素(speaking, writingも含め)に目配りをしたスタイルに。
3学期はそれで臨みたい。


・入試問題を扱うことについて
先学期は高2の2学期ということで入試の過去問を週に2回扱った。そして、一般的に行われるように、総合問題の形をとった出来合いの問題集を渡すのではなく、生徒の目線で教師が選んだ文章を読ませたいと思い、自分(達)で選んだ問題を選び、冊子を作成した。
良かった点は、こちらとして読ませたいものを選んであるので、教える側のモチベーションが保ちやすいということ。それから生徒の立場では、出来合いの問題集よりも教師が選んだ手作り感のあるものの方がやる気が出ているように見えたこと。
悪かった点は、ペース配分が定まらなかったこと。なるべく多くの英語に触れてほしい、演習量を確保したいという気持ちから、演習そのものは宿題、答え合わせを解説付きでなるべく簡潔に、語彙の確認。という流れで行なっていた。かなりのスピードをだして行なっていた。
英語の成績が中位以下の生徒にはわからないことが多い、無駄に進みの速い授業になってしまったかもしれない。
こちらとしては、本来の読解力を問うためには、読者の背景知識の多さに左右されるテスティングはよくないはず。しかし、現状の入試問題はよくも悪くも内容のそれなりに濃いものが多いため、読み手の背景知識が多いかどうかが、その文の理解度に大きく作用するのは否めない。それを踏まえて、文章を読んだ後に何か発見があるものだけを選にたい、という考えがあった。しかしながら、本来そういう背景知識の増強は母国語で行えばいいのだ。
とすれば、英語で面白い内容を扱うと同時に、英語そのものをしっかり扱う時間を設けないと片手落ちということになるだろう。
3学期は少し解説の時間を多めに設けて(答え合わせという時間以外に)行うことが必要だ。(この手のことは、解答解説が充実している出来合いの問題集ではやりやすいのかもしれない。しかし、それでは教師の存在意義は圧倒的に薄れるのだ。演習して、答えを配ればいいのだから。この辺りについては、またこのブログで扱いたい。)

コミュ英はこの辺りを意識することで3学期はトライアンドエラーを繰り返していきたい。