「やりとり」を考える

先月の21日、関東甲信越英語教育学会の教育セミナーに役員として運営に参加した。その中、お茶大附属の津久井先生の発表が興味深かった。

平成34年度から新指導要領の中でも話題になっている「4技能、5領域」。スピーキングの領域が「やりとり」と「発表」に分けられたからだ。

津久井先生の発表前半はこの「やりとり」についてのものであった。

彼の主張は「意味を失ったやりとりはしても意味がない」というものだった。例えば

T: Ok, Mr. A, what will you do for Yuka?

S: Umm, I'll give her some flowers.

T: That's a good idea.

ここでは意味のあるやりとりにはなっていないということである。もっと意味のあるものが「やりとり」であるということであろう。

そこで、津久井先生は上記の答え合わせは会話のターンでいうとT-S-Tとなってはいるものの、最後のTのターンにはほぼ意味が込められていないと言う。もちろん、褒めているのだから、なんらかの意味の伝達が起きてはいるものの、形式的であることは否めない。ここの最後のTのターンの意味のあるものにするべきと彼は言うのだ。

例えば最後のターンが

Why did you choose that?

What kind of flowers will you buy?

と言えば「やりとり」は完成するということだ。これは当たり前といえば当たり前だが、示唆深い。

では「意味のあるやりとり」と言うのはなんなのだろう。

例えば中学の会話練習などでは、会話の持続というものが話題になる。ともかく話題を絶やさず「やりとり」を長く続けよう、ということだ。でも

A: What did you do at night yesterday?

B: I watched TV. How about you?

A: I read manga. What did you eat for breakfast?

ここには「やりとり」があるように私には感じられない。意味のあるやりとりとは質問をした側に、その質問の答えが知りたいという気持ちが少なくとも少しはあり、実際に答えが返ってきたときに、その答えに心がいくばくかでも動くというやりとりであろう。基本的にそのコミュニケーションに必然性があるかどうかということだ。相手に聞きたいことを持つ、そこから会話は始めたい。というか始まるべきであろう。

会話の相手が前日に学校を欠席していれば "What did you do yesterday?"には大きな意味が込められている。"I did nothing."と返って来れば「だいぶ具合がよくなかったんだ」というguessもきくわけだ。