これからの英語の文字指導 手島良

 

これからの英語の文字指導 ——書きやすく 読みやすく

これからの英語の文字指導 ——書きやすく 読みやすく

  • 作者:手島 良
  • 発売日: 2019/02/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

生徒の手書きの英語が最近読みにくいなあ、と感じていて手に取った本(実際は英語だけではなく、数字が読みにくいことが多い…)。

色々と発見のある読書になった。

 

・授業のプリントでは「活字体」ではなく「現代体」を使うべきであること

・様々な点で縦線を先に書くのが原則(大文字のT,Eなど)。

・「筆記体」ではなく「続き字」というものがある。

 

みなさん、大文字のT、縦線から書いてます? 僕は完全に横線でした。来年から中1のカリキュラムが変わって、綺麗な字を書けるように指導する予定。英語だけの問題ではないにしても、意識的に英語を綺麗に書く時間が英語の習いはじめにあるのは(小学校の時に悪い癖がついてしまっている場合ならなお)、きっとその後の書きやすく、読みやすい英語を意識できることに寄与すると願って。

『英語は1年でマスターできる』三木雄信

 

 newspicksを読んでいて、この筆者の記事にぶつかり面白そうな人だなと思い購入。

それなりに興味深く読んだ。

本気でやっている人だからこそ、非常に的を射ているアドバイスが多いと感じた。

 

この本でとにかく繰り返されているアドバイスが、英語を習得するには「目的を明確化する」ことが大事だということ。

 

教師もそう。英語で50分授業することを英語学習の目的にするのであれば、英語のセリフを映画を使ってディクテーションばかりしていても仕方がない。ネイティブスピーカーと授業の打ち合わせを英語で完璧に行いたいと思えば、CNNを聴きまくっても意味がない。

 

この視点はとても大事だと思う。

 

転じて、生徒の英語学習においてもミスマッチが起きないように気をつけたい。

 

勤務校では「英語ができない」=「学校の考査ででいい点が取れない」、がまず来て、その後「英語ができない」=「模試でいい点を取れない」に変容していく。この場合で考えれば、「テストでいい点を取る」=「模試でいい点を取る」であればいいが、教員によってはそうでもない。ここの折り合いをどうつけていくかが大事である。

 

個人的には生徒の限られた学習時間を考えると、「英語」から「入試英語」への変化においてはある程度のギアチェンジが必要であると考える。大量の時間があれば、「英語」をひたすらやることで「入試英語」に対応できるようにはなるだろう。しかし、生徒にとっては国語も英語も社会もあるので、その辺りは考えものである。

 

 

『英語教育を知る58の鍵』松村昌紀

 

英語教育を知る58の鍵

英語教育を知る58の鍵

  • 作者:松村 昌紀
  • 発売日: 2009/01/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

教員を目指す学生が読むための本のようだが、興味深く読んだ。とにかく授業にまつわるあらゆる視点について書いてあるので、どこが最も印象に残った、という感じでもない。でも、今ちょうど期末考査をやっていたりするので、テストのところが気になったかもしれない。本当に当たり前のことだけど、改めて文章で読むとそうそう、となる。

 

「意図的であろうとなかろうと、何が重要だと出題者が考えているかについてのメッセージを、テスト問題が受験者に伝えている」(p. 188)

 

それはそうだ。でも、だからこそ共同でテストを作るときというのは、議論が思わず熱くなったりするのだろう。マテリアルの取り扱い方はもちろん、採点の仕方等、こだわりポイントはたくさんあるので、なかなか難しい。

 

例えば、一緒に授業をしている同僚が、使っている副教材の問題をそのままテストに出題すると言ったらどうだろうか。授業の重要さを伝えるにはいい出し方だと思うか、これじゃあ、ダメだと思うか。ダメだと思うなら、それはなぜダメなのか? それは常識的にダメ、となるならその常識とは何か?

 

定期考査とはachievement testなのだから、こちらが教えようとしていたことについて、どこまで到達できたかを測るテストなのだ。同じ問題をもう1度解いてできるということであれば、そこで教師がachieveして欲しいものとはなんなのか。やはりそこにはタスクとしてのゴールがないということになるであろう。それはあまりにも「形式」に焦点が当たっており、もし「意味」を伝え、理解するということをゴールに置いているなら、同じ問題をもう1度解かせようという出題にはならないはずだ。

 

なんてこともきちんと考えないと、議論にならない。疲れるけど、意味のある作業だ。

教師なんて何年やっても、こういうビギナー本が面白いというのは、何なのでしょう。きっと、自分が成長していないことも大きく関与してるんでしょうけど、やはり教師って守備範囲が広すぎて、なかなか熟達しないんでしょうね、一つのことに。一番何を知らなければならないのかを、自分で決めないといい加減ダメなのかもしれません。

 


Ed Sheeran - What Do I Know? : Lyrics & 和訳 (Live)

『中・上級英語ライティング指導ガイド』山西博之・大年順子

 

中・上級英語ライティング指導ガイド

中・上級英語ライティング指導ガイド

 

 新しい知見があった、という感じでの本ではなかったが、面白かった。

 

特に二つのことが確認できた。

 

①生徒のライティングが「なんか変だ」という言い方ではなく、わかりやすく説明することができそうだということ。

 

生徒がよく書く "I have three reasons."。 これは、限られた語数で書く場合は特に違和感がある。これを覚えてしまうとみんな書く。これは「列挙の予告」と呼ばれる方法で、パラグラフが連なる長いエッセイであると効果的である。では短い文章でどう「予告」すれば良いかというと、読み手に内容を印象付けるには、これから述べる書く要素を上位概念で示すということだ。"I think people should move to a different city. I have three reasons."ではなく、"I think people should move to a different city. Living away from home brings lerning, opprtunities, and independence."のようにだ。これで、文の結束性は相当に高まる。このあたりをわかりやすく説明すればいい。(第11章 議論に一貫性と結束性を持たせるためのエッセイライティング指導)

 

②ライティングには必ず読み手が必要だということ。

 

これは言い古された言い方だけど、常に意識するのは授業では案外難しい。言い方を変えれば、読み手(多くの場合、教師)が用意しにくいから授業でライティング活動がしにくい、とも言えるか。ただ、見方を変えれば、生徒同士による評価をもっと積極的に進めるということで、いい効果が生まれるのだ。生徒に評価するための方法や視点をわかりやすく提示し、練習させれば、それがすなわち自分が書くときのメタ認知へとつながっていく可能性が高い。必要な読み手は生徒がやってもいい。(第8章 協働学習としてのピア・フィードバックー読み手の役割に焦点を当てた指導ー)

 

この人たちの曲は「結束性」はないけど「一貫性」はある。

 


スピッツ 愛のことば

 

 

『ことばの教育を問いなおす』鳥飼玖美子 刈谷剛彦 刈谷夏子

 

 

この本は初めてiPadを使って読んだ。隙間時間に読めるので(というか、他のやらなければいけないことをやるときに思わず読んでしまう…)、あっという間に読み終わる。

 

世の中がこんな状況なので、モノの本質に目がいってしまうことも多い。学校とは? 授業とは? なんてものも含まれる(遠隔授業が流行る昨今、対面授業って何よ? とか 入学式はライブ配信でなんてなって、式典って何よ? とか)。

 

刈谷夏子氏は大村はまの教室でこういうことを学んだと言う。

 

ことばと向かい合う時に、今自分の考えていること、感じていることを表すのに、このことばが最適か、しっかりと伝わるか、表しきれないものがないか、余計なものまで表していないか、そんなふうに目を向ける習慣を身につけたことでした。

 

もちろん英語を教えることも「ことばの教育」なのだから、上記のような目的をもつこともできる(もたなければならない)。でも、外国語だからまずは使えるように、いう目標が先立つようにもなる。ことばの大切さなんて、母国語でやればいいっていう議論も出てくる(新指導要領では国語、英語の連携の必要性についても記述がある)。

 

自分なりに英語の教え方については勉強しているつもり。「ことばの教育」上、どんな目的を持って授業を進めていくのかというあたりが自分では曖昧になりつつあることを、この本を読んで感じた次第です。

 

これを読んでくれている英語教員の方々、皆さんはなぜ英語を教えているのですか?

 

僕はやはり、(自戒をこめて、そしてそれを共に追い求めるために)言葉を相対化させて、言葉への感性を養って欲しいのだと思う。言葉なのだから、独りよがりではなく、「相手に」(ここが英語教育に欠けた視点)過不足なく(そして欲を言えば気持ちよく)情報が伝わるかを考える。「相手が」何を言わんとしているのかを考える。母国語しか操れないのであれば、気がつかない視点を外国語学習を通して感じてもらう(もっと言えば外国語学習でなくとも、モードが違う言語形態ならいい、短歌とか俳句とか)。

 

授業を毎日毎日行なっていると、このやり方が「うまくいく」、「うまくいかない」という観点が全面に出てきてしまう。次々と目の前に現れる生徒たちの楽しそうに、興味を持っている顔を見たいですもんね。

 

でもやはりこちらの大きな目標に貫かれた授業がしたいですね。

 

なんてことを考えさせてくれるいい本でした。(鳥飼さんの書かれた部分は、彼女の本をそれなりに読んでいる人には、冗長です)

 

でも言葉って面白いのは「雰囲気」に大きく作用されるってこと。その人の語る内容よりも、その声や表情で心を動かすこともできちゃう。これに頼るのは汎用性がないから注意ですけど。教室では教えられない。教える必要もない。この動画はそういう感じでしょうか。

 


志村けんさん 名言

『テストが導く英語教育改革』根岸雅史

 

テストが導く英語教育改革

テストが導く英語教育改革

  • 作者:根岸 雅史
  • 発売日: 2017/07/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 この本の中で著者は繰り返し言う。とにかく「総合問題」をやめよう!、と。

「総合問題」とは長文があって、その中に色々な問題が盛り込まれている問題。下線が引いてあってその部分を訳したり、カッコが空いていて語句の並べ替えをしたり、単語に下線があってその発音を答えたり。

 

そういう問題で何が良くないと言えば、その問題が生徒のどんな力を確認しているのかがわかりにくいし、下線が引いてあったり、穴が空きまくっている英文を読むということが、実生活であれば英語を読むという状況下であり得ないことである。まして、その問題が授業で一度扱った問題であれば尚更だ。

 

このような指摘で考えてしまうのは、テストで問う問題は授業内で行った力を試すものでなければならなく、それであれば授業をする前にその付けたい力をもちろん想定しておかなければならない。

 

この著者が危惧しているのは、授業者は本当に授業に臨む前に「付けたい力」を想定しているのかということだと感じた。

 

観点別評価というさらに深いところへ行く前に、その「想定」を確認しないと!!、という本の趣旨にも読めた。

 

これは自戒を込めていうが、生徒にどういう英語の力をつけたいか、と教員が考える時、授業者は自分なりの「英語ができる人」を想像するわけだが、その人とは「自分の作るテストでいい点が取れる生徒」であることが多いのではないか。そして、そのテストがどういうコンセプトで作られているかというと、数多ある問題集や入試問題、自分が受けてきたテストの寄せ集めだったりすることはないか。

 

生徒にどんな力をつけたいか、この問題から逃げていては教員は務まらない。いいテスト作りは自分の「英語教育」を改革するのに最も適したツールかもしれない。

 

 

実際に動くということ 〜アウトプットのそのさらに向こう〜

前回のブログで、世の中の「グッドデザイン」についての英語プレゼンを行った記事を書いた。

 

たくさんのよい実例が飛び出し、生徒の底力を感じた。

 

と同時に、その生徒たちに調べ物をさせたのはいいが、その調べ物から実際に何か行動に繋がるかどうか、ということを考えた。

 

話は飛ぶが、自分は東北の生まれで、3.11の時は当然うろたえた。実際、実家の家族や近しい人に命を落としてしまった人などはいなかった。

 

でも、自分の中では何かが大きく動いて、ものすごく体調を壊して、約一月寝込むという事態になった。

 

その時に、自分の中では思索も進んだし、その中で何か結論じみたものもあったようには思う。でも、実際にボランティアに出かけていって、人のために動いたりはできなかった。体調も悪かったし、その後仕事もキャッチアップするのが大変だった。できたのは復興募金くらいだ。病気になるなんてことは、他人のためには何の役にも立たない。それは一緒に悲しんだという勝手な感情でしかない。

 

結果として、何もやれかなったことを今でも後悔している。

 

頭で考えることは大事だし、それなしでは行動も深まらない。でも、そのあとの行動がないと、その思索そのものの意味はほとんどないことになるのだと思う。

 

当時の後悔を思い出した一つの出来事は、東京事変が3.11後にある歌をyou tubeにあげたエピソードを知ったときだった。

 

椎名林檎がインタビューで

 

「あの状況で、書けない自分が無理に何かをゴリ押しして我を通すのは違うだろうと、そう率直に思いました。・・・『やっぱり私たちは今夜明けを夢見ているのではないか』と感じて、ふと『夜明けのうた』のことを思い出したんです。『ああ、今みんなの歌声で私が歌ってほしいと思う歌は、もうすでにあったんじゃないか。じゃあ、この曲をみんな知ってもらおうよ』と・・・」

 

と言っていたのを読んだ時。

 

そこで歌が書けなくても、古い歌を歌うことならできる、と。換言すれば、自分のできることをとにかくやっておく、ということなのだと思う。それを思うと震災後、自分にも何かはできたんだろうな、と思う。

 

生徒にも、何かを読んだら、聞いたら、何かをやってみる。それが大事だと伝える必要があるのだと思う。

 

アフリカの人たちを助けることができる石鹸がある、とプレゼンをしたら、その石鹸を買って触って、洗ってみる。くだらないことだけど、体験が伴うことが大事なのだと思う。

 


東京事変 - 夜明けのうた