『高校英語授業を知的にしたい』 三浦孝 他 編著

高校英語授業を知的にしたい −−内容理解・表面的会話中心の授業を超えて

高校英語授業を知的にしたい −−内容理解・表面的会話中心の授業を超えて

いろいろと忙しくて時間がかかったが、読み終わる。
三浦孝は冒頭で以下のように述べる。

、、、英語授業における内容吟味の欠如は、実は一種の危険すらはらんでいる。それは、長期間にわたって英文を読み、無批判に内容を受け入れる作業を続けることによる、洗脳的効果である。

これにはとても同感できる。ではどうすればよいか。
大事なのは、思い切って教材の取捨選択をすること。そして内容をうのみにしない仕掛けを時として作ること。
検定教科書を使用するにしても、それを恐れずにやることだろう。
内容的に「浅い」と感じたら、そのレッスンは避ければよいし、
この内容は良くても、構成が危ういと思えば、その欠陥(に見えるところを)批判的に読めばいい(悪い例として)。

この考え方は、英語授業の定型にも一石を投じることができる。
オーラルイントロで、教科書の中身に触れ、本文に入る、そして、内容理解の後で、
なにか内容のreproductionを行う。全部英語で行う。
このような流れで、扱っている英文が内容的に問題があるもの、もしくはとてつもなく退屈なものであれば、恐ろしいことである。生徒の体にしみこむものは「いい」内容であるべきだし、その内容に疑問や反発心を持ったって構わないわけである。

この本には、そうならないための方策が書かれている。全部が全部実行可能かというと、そうでもないが、とても参考になる。