『教師の資質 できる教師とダメ教師は何が違うのか』 諸富祥彦

英語教育関係の本ばかり読んでるが、たまに読む教育系新書。その中でもこの本は面白かった。この手の本は今自分に起きていることと関連するところで目が留まり、感銘を受けたり、反発をするもの。

こんな記述が気になった。

教師を大声で怒鳴りたて傷つける保護者自身も、「傷ついている保護者」であることが多く、内心は「被害者感情」でいっぱいなのです。

教職員のカラーが偏っていくと、子供たちに悪影響が出ます。あるタイプの子供は受け入れられて、あるタイプの子供は受け入れられない、ということになってしまいがちです。ですので、さまざまな個性の教師がそろったバランスの取れた学年教師集団にしていくことが重要です。

親や教師が子供たちに「やってほしくないこと」を言葉にして言うと、余計にその行動が増えるものです。子供の行動を実際に変えるには「やってほしいこと」を言った方がいいのです。

・・・感じた疑問を、世界の様々な問いを、教師自身が、自分とは無関係なこととして退けるのではなく、自分自身にとっての、のっぴきならない問いとして引き受け、考え続けること。このことが、「教師として持つべき生きる姿勢」となるのです。

一貫性のない引用だけど、この辺りが心に響いた。「被害者感情」にあふれた保護者に寄り添いながら相手をして、個性あふれる教員チームの一員として働き、子供には前向きに「やってほしいこと」を言う。そしてプライベートにおいては、世にあふれる問いを時間をかけて考える。そんなことは自分にできそうもないけれど、まあそのあたりの記述が心に響くということは自分では大事にしているということ。

心のどこかに秘めて仕事をしたい。

でも、教員のチームのなかに多様性が必要ということ。これは真実かもしれない。不登校問題とも関わりがありそうだ。