『人はいかに学ぶか』 稲垣佳世子 波多野誼余夫

人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)

人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)

読了。

授業の中にペアワークを多く取り入れる。グループワークを多くとり入れる。
アクティブラーニングでなるべく活動に授業時間を使う。

これらのスタイルはどこから来るのか。それは、生徒が飽きやすいから、講義形式では50分持たないから、そんな消極的なことではないはず。教育学において考えるには、どういう文脈があるのか。

それはこの本の引用で明確になる.

・・・人間は、伝統的な学習観のもとで考えられてきたように、意図的・意識的に外から知識を伝達されない限り学べない、といった受動的な存在でない。それどころか人は、生活上の必要を満たすために環境に働きかけ、効果的な手続きを学ぼうとする。さらに本来知的好奇心が強く、そうした手続きの意味を積極的に求める存在でもある。

この教育観の転換が根本にはある。(ただ、実感としては子供たちが個性を伸長することを良しとし、成長している中、伝統的な教育観で学びが続けにくくなったという状況はあるとは思うが。)

授業を構築する中でも、この転換を意識しないと、コンセプトのない、ただ騒がしい授業が出来上がる。彼らの学ぶ気持ちを信じて、それを引き出す、という仕事が教員には必要だ。
だから、子供たちの中に学びが起きる状況を作り出すには、教員の工夫は必須である。先日も、あるレッスンの要約を作らせた後、グループ内で内容を確認させると、皆は自分のものを他人のものと比べあい、活発に意見の交換をしているグループが多数現れた。彼らの好奇心をくすぐる仕掛けが必要なのだ。

子供たちの(教師による伝達を通しての)学びを信じられなくなったら、彼らに学びあいをさせてみるのがいい。