KATE 月例 2014. 5

文学を使って英語学習をする。これのメリットはなんだろうと考える。

やはり、学習者が英語を読み進めるドライブが強いということだろう。先が読みたい、という気持ちだ。プロットが面白いものであれば尚更。

英語のオーセンティシティを利点とする人もいるけど、それはあんまり効能には考えられない。学習には要らないレベルのはなしかなと思います。やはり、英語が本物、とかじゃなく、読んで面白い、ということが重要なんだろうと考えるわけです。

中高生の教科書には物語があんまり載ってません。これはバランスを欠いてます。4技能のバランスをとって授業しようとする場合、文学を扱うこと自体何の問題もないと思います。

ただ「実用」というキーワードを考えてしまうと、文学というのは弾かれる傾向があるかもしれません。
ただ、授業の組み立てをきちんとやれば、なんだって素材になるはず。読む必然性から言っても、先が気になるという気持ちが持ちやすい文学素材は格好の素材です。

でも、文学を研究していた身としては、文学って、プロットが面白い、興味をそそるというところには本質はないと思うのです。言葉と戯れることの喜びなんだと思うのです。プロットがつまらなくても、ある言い回しに心を動かされたり、ある場面に泣けたり。だとすると、生徒の発話を促したり、英語表現の定着を進めるための素材として扱われる文学は、文学の本質とはずれる場合もあるかなと。特に、retold版なんか使った場合、文学としての価値はほとんどゼロになると思います。

何はともわれ関戸先生のお話は面白かった。彼の話しぶりから彼が文学好きであることがよく伝わった。関戸先生の授業紹介では、文学を味わう、というにおいはあまりしませんでした。きちんと生徒の発話を促すように素材が扱われていた印象です。ワークショップ形式で進みました。英語をたくさん使って、ペアの方とも仲良くなりました。関戸先生は大学の教室で『グレートギャツビー』、『ライ麦畑でつかまえて』を扱っているようです。この作品たち、プロットで読ませるような単純なものではないですからね。きっと、実際の授業では作品を味わう形を時にはとっているのだろうな、と確信しました。