授業の良し悪し

勤務校で授業公開期間があった。
みんなの授業を見合おうではないか、という企画。

英語以外の授業を見たり、他学年の英語の授業を見たり。
地理の授業などは、本当面白かった。あの授業なら僕だっていつも受けたい。

英語の授業はそれほど見れなかった。でも、他教科の授業を見て、思いを強くしたことがある。
英語の授業の良し悪しは、「授業者が生徒にアウトプットさせる気があるかどうか」でだいぶ決まるのではないかということ。

1時間の中に必ずなくてもよい。何時間分かの教案の中でその時間が意識されているかどうかとうことだ。

英語の知識そのものを講義で語るのはやはり違う。英語という教科の暁にあるのはコミュニケーションである。発話である。表現である。

地理は完全に講義の授業であったが、面白かった。その知識を持っていることの中に教員の魅力が感じられた。その知識そのものが教員そのものという気がしたのだ。地理にもアウトプットがあったらさらに楽しいかもしれないなとは思う。でも、本質的に言語を扱う英語の授業とは違うのだ。

英語の授業でも「読む」こと、「聞く」ことに特化する授業はあっていい。でも、最後には何かを表現させたい。そして、生徒は表現したいと思うのではないか。その時間を確保しない正当ではない授業になるのではないか。無論アウトプットにはいろいろな定義があろう。でも、表出するという意味ととらえればいいのだ。無意識ではできない作業と言ってもいいかもしれない。(音読は無意識でもできる)

子供たちは自分を表現したいと思っている。

そう思っていない子たちにも、表現してみれば面白いかも、とだけは伝えたい。

写真は生徒に物語を読ませてから書かせたin-depth question。英語はぐちゃぐちゃでもいいことを(ロジカルなこと)を書く生徒。英語は立派でもつまんないこと(文字通りつまらないこと、もしくはまったくロジカルでなないこと)を書く生徒。両方いた。