予習はいるのか?

英語教員の中で時々議論になるのが、授業に予習はいるのかいらないのか、という話。

僕は基本的にいらないと思っている。
理由はひとつ。40人の生徒で授業をすると、予習をしないで授業に望む生徒が一定層いるからだ。
予習を課すということは、それを前提に授業を進めるということになるのに、そもそもそういった前提を共有しない生徒たちが教室にいるのはやりにくい。

しかし英語を身につけるという点では、同じ英文に複数回触れるのは大切なこと。だから予習は、あればそれに越したことはない。でも、もし課すのであればこちらが全員の予習をチェックすべき。
予習がしてあるという前提を共有すべく毎回チェックを行うべきだ。自分が共有したい前提を持てるように教師は時間をかけて(授業時間を削って)チェックをすべきなのである。

僕は生徒たちが復習をするかしないかで彼らの成績に差がつくの最もフェアだと思っている。
だから教員は復習を上手くやれるように工夫をすべきだと思う(勿論、定期考査への準備を含めて)。

自分で初出の英語と格闘する訓練に予習が役立つのだ、と言う人もいるが、それは他の課題で家でやらせれば良い。初出の英語との格闘の仕方を授業で教えればいいのだ。文法訳読を中心に授業を進めようとすると、この予習前提の授業になることが多い。その場で難解な英文を読み訳すのは難しいからだ。しかしこの手の授業は単なる予習の答え合わせ、しかも予習していない子には何の意味もない授業になってしまう。扱える英文の量が極端に減ってしまう。何回な文章を読むには内容把握のQAを使って、英文構造の理解には時間をあまりかけないのが得策。音読も必要だ。

授業内ではとにかく生徒の頭に多くの英語が「残る」よう教案を作るのみだ。