学校の戦後史 木村元
- 作者: 木村元
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2015/03/21
- メディア: 新書
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この本読了。
学校の歴史について知らないわけにはいかない。この本を読み終えて、知ってはいたけど、今自分が置かれている文脈の中で、再認識しなければいけないことがたくさんあることを確認できた。
たとえば、教育基本法のめざすところについて、著者はこのように言っている。
戦前のように「国家に不当に支配されない」という反省に立ち、自律的な主体に子供を成長させようとするリベラリズムの社会観に支えられ、個としての人格的成長を前提とした主権在民の実質化が目指されたのである。
これを読んで感じたのは、今の学校は皮肉なことに「個」はあまりにも増幅し、子供はある意味、自律している。そしてその結果、個としての生徒の振る舞いに学校は翻弄されている。そして、基本法の方針とは異なる締め付けも始まる。
今の学校を眺めるに、次の目標設定が必要なのではないか。次はこの生み出した「個」をどのように伸ばしていくかだ。
学力観はどうかというと、これも学校という制度が社会に果たしてきた役割を考えるとわかりやすい。著者はこう言っている。
(企業においての)人員の採用に際して評価されたのは、職務に対する具体的な知識・技術よりも職務遂行の基礎となる一般的な能力や忍耐力など、将来への「訓練可能性」であった。 <中略> こうした能力は・・・競争への適応的な態度であり、普通教科中心の学力偏差値に代表される一元的尺度と、それに基づく入試競争を経て優秀な大学に入学を果たすことで示される能力である。
企業では上記のような採用方法が続き、学力偏差値が重要視されるようになっていく。社会に子供を送り出していく役割を果たす学校は、そこで偏差値を振り分けるフィルターの役割を果たしてきた。企業側が訓練可能性ではないところに目を向けるようになってきたのだとすれば、学校もそこにむけて舵を切る必要が出てくる。これはある程度、学校で実践されつつある部分である。
この2点が気づきとして大きい部分だった。特に前者に関しては、感じるところが大きい。昨今、政治的状況はなんだか雲行きが怪しい。教育基本法が第2次大戦への反省から生まれたことを考えると、なおさらだ。歴史は1つの転換期に直面しているのかもしれない。
やはり、行き過ぎた「個」は不要だ。こんな意見が跋扈すると、また画一化の動きが出てきそうだ。ここは、こらえ時。その「個」をつぶすのではなく、その「個」に合わせて教育観を変えていく必要がある。